アンナプルナ巡礼・1

2011年11月
11月1日から25日まで、ヒマラヤ登山でした。

3日・4日・5日とネパールの飛行場の片隅で
朝の8時から午後の3時までエベレスト方面のルクラ行きの飛行機を待っていましたが、
天候は回復せずエベレスト護摩を断念しました。

代わりに選んだ先が「アンナプルナ」です。

アンナプルナは人類が最初に登った8000m峰で、
8091mのT峰、ごつごつした南峰、7900mのU峰、7500mのV峰、W峰と続く
巨大なアンナプルナ連峰なのです。


          

この周りを回ることを「アンナプルナ・サーキット」と呼び、
その中央3760メートルにムクチ・ナートという聖地があります。


ムクチ・ナートはヒンドゥー教とチベット仏教の聖地であり、
ヒンドゥー教ではビシュヌ神の、チベット仏教では釈迦の聖地とされています。

ヒンドゥー教のお社の奥には108の蛇口から、ガンジス川の流れのように水があふれ出ています。
ここの水を浴びると浄化(罪業消滅)されるとの信仰で、インドからも多くの人々が訪れます。


          


仏教の聖地には永遠に燃え続ける炎と名付けられる「火」が燃えています。
天然ガスの炎なのですが、こんな山の上に不思議な場所があるものです。

私は春先に「逗子中学校」で講演し、彼らの願いを書いた「タルチョ=五色の旗」を預かっていました。
この旗を風になびかせると、願いが神々に届くというのです。

お預かりしたタルチョをガイドの「プレム」と共に聖地に飾ってきました。


          




アンナプルナ巡礼の難しさは二つあります。

一つ目はトロンフェディ(4441m)からトロンパス(5416m)を越えて、
ムクチナート(3798m)まで歩く、峠越えの日です。
一日で1000メートル登り、1500メートルを降りるのです。

二つ目は、10日間もかかるトロンフェディまでの行程の長さです。

高度順応をしながら歩くのですが、昼は暑く、夜は涼しい気候のため風邪を引いてしまうのです。

空気は乾燥し、ロバの商団が通ると道はホコリが舞います。
まるで北風と太陽の争いの場のようです。日が照ると暑く、風が吹くと寒いのです。

体調を維持しながら最後の難関に挑まなければならないのです。
対策として、着替えをまめにして、休みを多く取り、マスクをつけて歩きました。


           

今回始めてヒマラヤに来るS君には「夏山から冬山までのすべての衣服がいるよ。」と伝えています。

歩き出すブルブレが標高840m。マルシャンディ川を遡りトロンパスを越え、帰りのバスに乗るジョムソンが2743mです。

ただしネパールは奄美大島と同じ緯度(南国)なのです。
そしてトロンパスが5416m。南国から雪のヒマラヤまで12日間で踏破するのです。


           

一日6時間の行程を10日間歩きます。
歩いているうちにランナーズ・ハイになってくるのです。
登山ですともっと厳しい傾斜の道を歩きます。

秩父巡礼をしたことのあるT君は「これは巡礼だね。」と呟きました。

無心になりただ歩き続ける。

私たちの人生もそのようなものかもしれません。


           



同行の人々



今回の巡礼メンバーは日本人4人。
真面目なガイド・プレム。お調子者のケビン。
ポーターにアリとドンマイの4人のサポートが付きました。

           

日本人はみな、千葉県立東葛飾高校・1年F組の同級生です。
49年前から山を登ってきた経験があるのです。

性格は(風)のS君。日の丸君が代・法制化に反対し国を相手に訴訟し続けています。
高校の英語教師を続け、退職しました。

理屈が好きで燃え上がる性格の私は(火)。
学生運動や登山クラブを作ってみなで登っていました。

石材屋のI君はみなの調整役の(水)。
なんでも聞くフリをしてみなの意見を水に流してしまいます。
今でも半分現役の仕事ぶりです。

T校長は理屈屋の石頭。(地)の性格です。
習字の腕は抜群で、展覧会に出品した般若心経の掛け軸が5万円で売れたのが自慢です。

リーダーとしてこの四人の組み合わせが難しかったのです。

二人部屋に泊まるのですが、私とS君とが同室になると、議論好きの二人が夜中まで話していて、
ベニヤ板一枚の境で寝ているT君、I君は眠れなかったそうです。

私がI君と同室になると、私が一方的にしゃべり、そのうちにI君は眠ってしまっています。
ぬかに釘・・のコトワザでしょうか?

T校長と同室になると、小林は「ないこと・ないこと言って・・・人を煙に巻く!!」と怪しがられましたが、
批判的な意見を言ってくれる彼が貴重に思えました。

全員が若い時期にヨーロッパアルプスに登り、山に狂った時期があります。
そんな過去を持ちながら、50年後にのんびりと巡礼トレッキングを楽しめました。

今でも現役のクライマーであるS君は、奥さんと四国歩き遍路をしてみたいそうです。

T校長は、武蔵御岳神社の峰中修行や秩父巡礼にも参加して、まんだらやの皆様には馴染みの顔かもしれません。

I君は20才頃より私のザイルパートナー(バディ)として、日本の岩場やヨーロッパ、ヒマラヤを共に挑みました。

ガイド・リーダーのプレムは30歳。1歳の息子と奥さんがいます。
親爺たちががやがや騒いで彼の意見を聞かないでいると「Listen to Me!!」と注意を促しました。


あるときムクチナートの物語を語ってくれました。
その話を深く聞き始めると、私のノートに40分以上かけて、ヒンドゥー教の神話を英語で書いてくれました。

彼の一言[God is One, But the name is diffarent] 「この世に現れてくる名前は違うが、神は一つである。」は
神仏習合を宗とする私にはうなづけるものでした。

独り者のケビンは40歳。複数の彼女はいるのだが結婚するよりも自由がいいと言っています。

彼はS君がナーバスになって腹を壊したとき、「Storong mind brings you a success.」と言って弱気をたしなめました。
彼女を口説くのにも、彼は強気で攻めるそうです。
そして失敗しても悔やまないのだそうです。


          


チベットの死者の書


マルシャンディ川の途中にヒマラヤに囲まれた土地、マナンがあります。

ここは亡命チベット人が集うチベット仏教の聖地でもありました。

高度順応のためにここで二泊した私は、マナンのお寺に道中安全の祈願に訪れました。
すると今日は葬式の日、お前も仏教徒なら祈ってくれと言われ、葬式に参加することになりました。

        

死亡した人は、カンチャ・グルン(66歳)。
山に向かう途中の岩を跨ぐのを失敗し、岩から落ち頭を割って昨日死んだそうです。

死者の魂は、49日間の間この世をさまよい、次の転生先を捜し求めます。
そのときに「死んだと言う事実」を知らないと、浮遊霊となりこの世に悪さをするのだそうです。

死んだときには、眩い白い光が現れ、そこに飛び込めば解脱できるのだが、
まぶしさにすくんでしまって動けないとすぐに次の幻想が現れ、解脱のチャンスを失ってしまうのだそうです。

次に紺色の光、金色の光、赤い光、緑の光が現れ・・・その光に飛び込めないと、
再びこの世に生まれ変わる輪廻を繰り返すのです。

この世といっても、人間として生まれるとばかりではなく、動物や虫としての転生もあるのです。

        

遺体は五色の旗に飾られ、村の焼き場で火葬にされます。

木々が多いネパールのチベット仏教徒は、鳥葬ではなく火葬が一般的だそうです。


村の男は全員で参加し、女衆は遺体の葬列を村の外れまで送ります。

私は女性ばかりの残った護摩炉の前で、彼の供養の護摩を修しました。