 6月23日、107人お方がお亡くなりになった、尼崎の電車転覆現場に
お経を上げに行ってきました。
工場地帯の一角、TVで見慣れたあのビルが線路に面して建っていました。
タクシーを降り、居並ぶJRの職員にご挨拶し、顕花台の前に友人と二人で立ちました。
周辺は数人のカメラマンがいるだけで、事故の余韻はほとんどなくなりかけていました。
献花台に一人お経を唱えていらっしゃるオバアちゃんがいるだけでした。
その方が終わるのを待ち、焼香をし、合掌をしながら瞑目して
「般若心経」を唱え始めました。
友人も私の声に合わせて、唱和してくれています。
横に誰かが立ち並んだ気配がしました。
すると突然、「カミング・バ〜ック!!」と声がするではありませんか。
「エー!!」
「待ってくれよ、私はここで迷わず、安らかに成仏してくださいと、祈っているのに〜!!」
「あの世から引き戻そうとしているのは誰〜?」
瞑目から覚め、静かに横の男性に目を移しました。
身長の低い70歳ぐらいの、ギリシャ系の老人でした。
祈りが終わると、集まってきた新聞記者に囲まれて、つばを飛ばしながら、
無念の思いを熱心に語っていました。
彼らの世界では「一度きりの人生パラダイム」なのです。
この考えだと、どうしてもこの世に執着してしまいがちです。
密教では突然の死を迎えた霊魂は、この世に対する執着が残り、
浮遊霊になりがちだと考えています。
浄土宗・真宗ではこの世は仮のもので、あの世こそ素晴らしいものであるといいます。
これも、執着から離れる方便なのです。
そうすることで、思いがけない死を迎えた魂が、成仏できると考えているのです。
この世に対する執着は、金銭に対する執着を生み、人々に対する思いやりを欠くことになるのです。
大いなるものにより、生かされている命であることを忘れてしまいがちなのです。
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