あの世から引き戻さないで!!
           

2005年6月23日、107人お方がお亡くなりになった、尼崎の電車転覆現場に
お経を上げに行ってきました。
工場地帯の一角、TVで見慣れたあのビルが線路に面して建っていました。

タクシーを降り、居並ぶJRの職員にご挨拶し、顕花台の前に友人と二人で立ちました。
周辺は数人のカメラマンがいるだけで、事故の余韻はほとんどなくなりかけていました。
献花台に一人お経を唱えていらっしゃるオバアちゃんがいるだけでした。

その方が終わるのを待ち、焼香をし、合掌をしながら瞑目して
「般若心経」を唱え始めました。
友人も私の声に合わせて、唱和してくれています。

横に誰かが立ち並んだ気配がしました。
すると突然、「カミング・バ〜ック!!」と声がするではありませんか。

「エー!!」
「待ってくれよ、私はここで迷わず、安らかに成仏してくださいと、祈っているのに〜!!」
「あの世から引き戻そうとしているのは誰〜?」

瞑目から覚め、静かに横の男性に目を移しました。
身長の低い70歳ぐらいの、ギリシャ系の老人でした。

祈りが終わると、集まってきた新聞記者に囲まれて、つばを飛ばしながら、
無念の思いを熱心に語っていました。

彼らの世界では「一度きりの人生パラダイム」なのです。

この考えだと、どうしてもこの世に執着してしまいがちです。

密教では突然の死を迎えた霊魂は、この世に対する執着が残り、
浮遊霊になりがちだと考えています。

浄土宗・真宗ではこの世は仮のもので、あの世こそ素晴らしいものであるといいます。
これも、執着から離れる方便なのです。
そうすることで、思いがけない死を迎えた魂が、成仏できると考えているのです。

この世に対する執着は、金銭に対する執着を生み、人々に対する思いやりを欠くことになるのです。
大いなるものにより、生かされている命であることを忘れてしまいがちなのです。

生きていることの学び

私たちはあの痛ましい事故から、何を学べるのでしょうか?
JR西日本の労務管理のずさんさでしょうか?
一両目の車両には乗らないという教訓でしょうか?

仏教徒ならば、こう言います。

『なんて幸運なんだろう。あの電車に乗らなかった。今もまだ生きている。生かされているんだ!!
 人間として。日本人として。覚りを開くために仏教を学べる環境にある。
 いま覚りを開く決意をしなければ、輪廻の世界を何度転生しても、その機会はないかもしれない。
 みんなと共に心より仏法僧に帰依しよう!!』

―――人身受け難し。いますでに受く。仏法聞き難し。いますでに聞く。
   この身、今生において度せずんば、いづくの生においてか、この身を度せん。
   大衆もろともに、至心に三法(仏法僧)に帰依し奉らん。―――

自分とはなんなのでしょう?

仏教者にとっては、生死はありません。
肉体は滅びても、魂(意識体)は永遠に生き続けるからです。
この輪廻転生パラダイムを確信することにより、永遠の命を授かるのです。

細かく分けると自分というものは、
ユング心理学では肉体+意識体+無意識体(個人的無意識)+神意識体(普遍的集合無意識)から出来ています。

密教ではこれを、五識(眼・耳・鼻・舌・身)、意識、マナ識、アラヤ識、アマラ識、といいます。
ヨガや神智学では、肉体、エーテル体、アストラル体、コーザル体、ブッディ体などと呼びます。

どれも、自分の身体が粗大な存在から、微細な存在へと変化していく状況を表しています。
そしてそのもっとも微細な自分が存在している場所が、
ユング心理学ではプシュケー、密教では虚空蔵、ヨガや神智学ではアカシックレコードなのです。

いずれも時間・空間のない世界で、伝統的な仏教ではこれをあの世と呼んでいました。
小さい自分はこの世に存在し、大きな自分はあの世に存在しているのです。

この思想がヴェーダンタ哲学の核心である、梵我一如(宇宙と我は一体)思想なのです。

                   
(神仏である)大きな自分に対面する

では、どのようにしたら大きな自分に会えるのでしょう。

神道ではご本尊に、鏡を用意しています。
鏡は、火(か)・我(が)・水(み)であり、我を取り去ることで、火(か)水(み)になれるのです。

密教では「我欲抜済・無与界、一切有情・諸苦難、本来具足・薩般若、法界三昧・早現前」
(我欲を抜けば、無限の世界に入れるよ!!多くの苦難にまみれている、生きとし生けるものは、
 最初から、般若の智慧を備えている。だから気付けばすぐに、あの世が目の前に現われるよ!!)

我とはなんでしょう?
我とはこの世の価値観なのです。

私たちは、この社会に適応するために、親や学校の先生からこの社会の価値観を刷り込まれてきました。
しかしそれは一面の真実なのです。
社会の価値観が急激に変化している現在、旧来の価値観に縛られていると、心が苦しくなります。

弘法大師空海は、無辺の生死を断ち、三昧に生きる(覚りを開く)には、
社会的価値観を乗り越えた正しい考えと、瞑想しかないと断じています。

あなたも現在の社会的価値観を疑い、宗教的価値観を学びながら、瞑想をしてみませんか?
それが新しい社会を作ることになるのです。