この世は地獄?・・・でも大丈夫

シジフォスの神話



シジフォスの神話(カミュ)をご存知ですか?

ギリシャ神話では、神がシジフォスに苦役を与えます。
シジフォスは大きな岩を山の頂上に持ち上げなければなりません。
しかし、その岩は山の頂上付近で、必ず下に落ちてしまうのです。

「落ちるとわかっている岩を、運び上げなければいけない。」
だから苦役なのです。

カミュはここで、仕事をしなければならない人間をシジフォスに託しました。

達成できるかもしれないプロジェクトを組んで、共同で仕事をするのは楽しい仕事です。
しかし、それが最後には無意味になる仕事は、苦役なのです。


賽の河原:がらがらな岩場



仏教ではこれを一切行苦というのでしょうか?

あの世には三途(三悪趣=地獄・餓鬼・畜生 に住む人々の作った)の川があり、
その川を渡らないと浄土にはいけません。

子供の頃に死んでしまった親不孝の子供の亡霊は、自分が死んで悲しんでいる親の供養のために
この河原で石を積んで、塔を作ります。
それが親が幸せなる唯一の方法、供養になるのです。

ところが、いくら積み重ねても、鬼が来てその塔を壊してしまいます。
作っても作っても、出来上がりません。無意味になるのです。

その行為を助けてくれるのが、地蔵菩薩なのです。

だからこの世が地獄でもだいじょ〜ぶ。地蔵菩薩がいるんですもの!!

地蔵菩薩の真言は「おん かかかび さんまえい そわか」

「ha ha ha: かかか」と笑って、笑い三昧に入りましょうよ!!


一握の砂:目的の達成しない人生



岩手出身の石川啄木は、詩集一握の砂で

  「はたらけど はたらけど なお我が暮らし 楽にならざり じっと手を見る」

と詠っています。

握ろうとしてこぼれて行ってしまう手のひらの中の砂は、
目的を目の前にして落っこちていく岩のようですね。

だからこの詩には、賽の河原の思いや、シジフォスの思いが詰まっているのです。


高杉晋作の世界観



でも、同じような人生を高杉晋作だと別の表現をしています。

 「おもしろき こともなき世を おもしろく すみなすものは 心なりけり」


彼のように人生で活躍した人は、この世が仮想現実であると考えます。

それを道教では、無為自然と呼んでいます。
仏教では、器世間です。

人生の意味づけは、あなた方一人一人に任されているのです。
出来事の意味を発見するのは、あなたの心なのです。

だからこそ、起こった出来事の意味を「メッセージ」として捉えて、五体投地をして

「おん さるば たたぎゃた はんなまんなのう きゃろみ」
「一切の如来に帰依します。=起こった出来事を肯定します。」

と唱えるのですね。

仏教は、困った時のいろいろな説話を用意していますね〜。
ぜひ仏教の考えを、よりどころ(帰依)にしてください。


  2012年3月18日・常喜院の地蔵菩薩は、
  涙と鼻水をたらしていました


同じ常喜院の赤地蔵菩薩