蘇我氏の寺:飛鳥寺(法興寺)
密教とは・・・「隠された真実を探る智慧を持て」という教えだ。
私たちは、真実が隠されていると言うことを知らない。
これを「無知の智」とか「オカルト」とかいう。
人は「自分の認識の範囲を超える情報」に接すると、噛み砕くことなしに吐き出してしまう。
ところが密教研究家(僧侶や神官やオカルティスト)は、その複雑にこんがらがった「自己の認識を超える情報」にこそ、
秘密が隠されていることを知っている。
アカシック・レコードとは「自己の認識を超える情報」の詰まっている記録のことをいう。
アカシック・レコードとは、人類の歴史が詰まった書物だ。
西洋では「聖書」がアカシックレコードの根幹を成していた。
神とは何かを語っている書物だ。
日本のアカシック・レコードが神の歴史を描いた「記紀=古事記・日本書紀」である。
神道と仏教の歴史が、日本文化の核心にある。
神道の思想に仏教が習合して、神仏習合の日本の仏教思想になった。
空海は「声字実相」というが、それは「記紀」の秘密が読み込める能力を必要とするのだ。
その最初は、「日本書紀」に書かれた・・物部守屋と蘇我馬子の対立に始まる。
欽明13年(552年)、百済の聖明王からもたらされた「仏像」を、
蘇我は「西蕃諸国は、みな礼拝している。」として賛成派に、
物部は「蕃神(あたしくにのかみ)を祀れば、国神(くにつかみ)の怒りを買うでしょう。」
と反対派に回った。
この決着は用明2年(587年)蘇我馬子と皇子たちが、物部守屋を討ち果たす。
その際参戦していた「聖徳太子」は、守屋を打つためには「願掛け」をしなければと、
霊木を削り「四天王像」を彫りだして祈願した。
すると物部の軍は面白いように崩れていったという。
日本最古の仏教寺院は、物部氏が亡くなった翌年(588年)、法興寺(飛鳥寺)で建築が始まった。
現在の飛鳥寺では想像もつかない大規模な四天王寺式の大伽藍が建造されたのだ。
このために僧侶、寺院建築の工人、仏画絵師、などが百済より渡来した。
高句麗からも僧侶が訪れ、「慧慈(えじ)」は聖徳太子の指導僧として活躍した。
ただしこの寺が奇妙なのは、寺院の心臓部ともいえる塔の礎石に埋められた「舎利」が
極めて日本的なものであったことだ。
舎利が本物であるかは置くとして、ヒスイ、琥珀、水晶、銀、勾玉、馬具、刀子などの、
古墳(祖霊信仰)に入れる埋葬品が副葬されていたのだ。
蘇我氏の寺、法興寺(飛鳥寺)は日本の祖霊信仰を行いながら、仏教建築を習合させたことなのだ。
|