ネパールで活躍・岩村昇医師と大木章次郎神父
ネパールの赤ひげ・岩村昇医師

ネパールの赤ひげと言われ、アジアのノーベル賞・マグサイサイ賞を受賞した、岩村昇博士が
2005年11月27日、呼吸不全のため神戸の病院で亡くなりました。
愛媛県出身、78歳でした。

広島での被爆体験から医療の道に進み、アジア地域の医療向上のため1962年から18年間ネパールに滞在し、
結核医療や識字教育に貢献しました。

3人のネパール人を養女とし「生きるとは分かち合うこと」をテーマに
アジア・南太平洋地域の若者を招き農家などで滞在研修をさせる財団法人「PHD協会」を設立し
アジアと日本の交流に力を尽くしました。

1972年10月、ネパール・エベレスト・トレッキングの際、同行の友人が重度の便秘になりました。
彼は、カトマンドゥに戻っていた岩村先生より、治療を受けることができました。

治療の際、同行していた私は岩村先生から
「君たちは日本に戻っても、一生懸命仕事をしてはだめだよ。ネパール程度の仕事の進め方でちょうど良いんだ。」
との言葉を聞きました。

そのときは何も感じないで、生返事をしていました。

それから20年、私は地球環境のことも南北問題も無視して働くことに夢中になりました。

20年余り経ったある日、本屋で手にした一冊が「アガスティアの葉」(青山圭秀・著)でした。
サイババの奇跡とアガスティアの葉の不思議が描かれていました。

その本の一部にネパールで活躍する「大木章次郎神父」のことが載っていたのです。
バブルが崩壊し、経営していた店をたたもうとしていた私は、
次の生きる場所をネパール・インド・チベットに定めたのです。

岩村昇先生は20年も前から「世界は欲望にまみれた、誤った方向に行く」と知っていたのです。

1995年、私もその智慧が欲しいと思い、サイババツアーに参加し、その後一人で釈迦の仏教遺跡を巡り、
ネパールの山を登り、岩村昇先生の活躍したタンセンの結核病院を訪問しました。

その後、大木神父にお会いするために、ポカラのシシュビカス・ケンドラを訪問しました。

ポカラの大木章次郎神父

終戦のとき、神父は広島の呉で人間魚雷・回天の乗組員として、特攻隊の訓練を受けていました。
生きながらえたら神に仕える仕事をしたいと願い、神父となり広島学院で教鞭をとることになりました。
(青山圭秀さんは広島学園在学中、神父の指導を受けた一人です。)

神父は岩村昇先生がネパールで活躍することを聞き、生徒たちに
「自分のことばかり考えずに、貧しく恵まれない人のことを思いやる人間になれ!!」と説いていました。

あるときイエズス会の本部から、ネパールのイエズス会系の学校での英語教師募集の案内を受け取りました。
生徒たちに説いていたことを実行するために、神父はネパールに赴任する決意を固めたのです。

ネパールの進学校に赴任した神父は、ネパールの貧しい人々の事情を目の当たりにすることになりました。

カトマンドゥから140キロ、ポカラの町にシシュビカス・ケンドラ(聾唖と智慧遅れの子供たちの学校)を作ったのです。

それから20年余り、ほとんど日本に戻らずに現地の人々の、心の灯火として、現地に根付いて生活しています。

知恵ある悪魔を作る・日本の教育



「今の日本をネパールで眺めていると、悲しくなります。」

あるとき大木神父は語り始めました。

「私が日本にいるときは『神なき教育は、知恵ある悪魔を作るだけだ。』という
 ガリレオの言葉を引用して神の大切さを述べてきました。

 心の問題には神の存在が必要です。
 心に神の存在のない官僚の人々が、汚職の誘惑に負けるのは当然です。

 神(仏などサムシング・グレート)の存在を信じていなければ、
 知恵のある人々は己の利益のために、汚職の行為を見つからないように隠します。
 知恵を悪く使います。

 死後の罰を信じないならば、人間は動物と同じになるでしょう。」

瞑想に出会い阿闍梨となる



このような出会いがあってから、10年間、私はネパールに行き、大木神父にお会いして、
さまざまなお話を聞くことができました。

ネパールは貧しいと思い、いらなくなった古着を持っていったこともあります。
そして気づいたことは、貧しいことと、不幸なこととは違うということでした。

多くの物に囲まれた豊かな日本人のほうが、物の少ない貧しいネパール人よりも不幸なように思えてきたのです。

私自身「物が少ないと不幸」と思っていました。

それが間違いであることを教えてくれたのが、ビパサナ瞑想の10日間の修行でした。

ネパールの首都・カトマンドゥ盆地の東に、ブダニールカンタという小さな町があります。
そこではゴエンカさんというインド人の始めたビパサナ瞑想道場があり、
10日間の瞑想を喜捨で運営しているのです。

早朝からの瞑想三昧も、5日目を過ぎると時間感覚がなくなります。
今日が何日かも忘れてしまうのです。
会話禁止、ノートやメモも一切使用禁止なのです。
食事の支度もせず、用意された食事をいただきます。

あるとき瞑想が終わって道場を出て、庭の花を見つめていました。

遠くの花を見つめるとその花の香りが、近くの花を見つめるとその花の香りが漂ってきます。
深く花との同一観を感じることが出来るようになっていたのです。

瞑想の説明のとき、ゴエンカさんのテープが流れました。

「欧米の人々が、インドの貧しい子供たちに寄付をしてくれます。
 それは素晴らしいことなのだけど、子供たちは働きもせずに
 『もっと、もっと欲しい』という欲望に囚われてしまいます。

 欲望の乞食になってしまうのです。

 私たちはそのような子供たちに瞑想を教えることで、
 欲望をコントロールする智慧を教えます。」 

と述べたのです。

その時以来、私は瞑想とその教えが、世界を変える力になると信じ始めました。
キリスト教も瞑目して神を思います。
仏教でもヒンドゥー教でも、同じような一時が必要であると説いています。

その後チベットの瞑想道場にも通い、興味深い仏教理論を学びました。
そして友人と共に、数多くの瞑想法を持っている高野山真言宗の道場で修業をし、
阿闍梨の資格を手にすることになったのです。

「瞑想とその理論が世界を救う」

いつの間にか自分がそのことをお教えする立場になっていました。

私をここに導いてくださった岩村昇先生、天国に召されたニュースを知った翌日、
また私はネパールへの旅に出ました。