このような出会いがあってから、10年間、私はネパールに行き、大木神父にお会いして、
さまざまなお話しを聞くことができました。
ネパールは貧しいと思い、いらなくなった古着を持っていったこともあります。
そして気づいたことは、貧しいことと、不幸なこととは違うということでした。
多くの物に囲まれた豊かな日本人のほうが、物の少ない貧しいネパール人よりも不幸なように思えてきたのです。
私自身「物が少ないと不幸」と思っていました。
それが間違いであることを教えてくれたのが、ビパサナ瞑想の10日間の修行でした。
ネパールの首都・カトマンドゥ盆地の東に、ブダニールカンタという小さな町があります。
そこではゴエンカさんというインド人の始めたビパサナ瞑想道場があり、
10日間の瞑想を喜捨で運営しているのです。
早朝からの瞑想三昧も、5日目を過ぎると時間感覚がなくなります。
今日が何日かも忘れてしまうのです。
会話禁止、ノートやメモも一切使用禁止なのです。
食事の支度もせず、用意された食事をいただきます。
あるとき瞑想が終わって道場を出て、庭の花を見つめていました。
遠くの花を見つめるとその花の香りが、近くの花を見つめるとその花の香りが漂ってきます。
深く花との同一観を感じることが出来るようになっていたのです。
瞑想の説明のとき、ゴエンカさんのテープが流れました。
「欧米の人々が、インドの貧しい子供たちに寄付をしてくれます。
それは素晴らしいことなのだけど、子供たちは働きもせずに
『もっと、もっと欲しい』という欲望に囚われてしまいます。
欲望の乞食になってしまうのです。
私たちはそのような子供たちに瞑想を教えることで、
欲望をコントロールする智慧を教えます。」 と述べたのです。
その時以来、私は瞑想とその教えが、世界を変える力になると信じ始めました。
キリスト教も瞑目して神を思います。
仏教でもヒンドゥー教でも、同じような一時が必要であると説いています。
その後チベットの瞑想道場にも通い、興味深い仏教理論を学びました。
そして友人と共に、数多くの瞑想法を持っている高野山真言宗の道場で修業をし、
阿闍梨の資格を手にすることになったのです。
「瞑想とその理論が世界を救う」
いつの間にか自分がそのことをお教えする立場になっていました。
私をここに導いてくださった岩村昇先生、天国に召されたニュースを知った翌日、
また私はネパールへの旅に出ました。
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